妙香庵とは


「傳教大師尊像」「宝満山六所宝塔」「蓮華のともし火」「慈母観世音菩薩(子授け観音)」

この宝満山は、比叡山を開かれた伝教大師最澄上人が、 入唐求法(にっとうぐほう)遣唐使として仏の法(法華経の教えと実践方法)を求めて中国に渡るに当たり、 竈門山寺そうもんさんじに航海の安全を祈られ、 また帰国後に発願された全国六所宝塔のうち、九州を守護する為、「安西宝塔(あんざいほうとう)」を建てられた伝教大師ゆかりの地であります。

六所宝塔

天台宗は最澄が中国にあった唐の天台山で学び、延暦25年(806年)に帰朝して比叡山延暦寺を拠点にして開いた仏教の宗派で、法華経を根本の教えとして密教を取り入れた、平安時代では最新の宗教の一つでした。最澄は生前に仏教によって国を守る「鎮護国家」を企画し、その証として全国6カ所に法華経を安置してそれを唱えるための宝塔の造立を企画します。その6カ所とは弘仁9年(818年)の『六所宝塔造願文』という記録には、安東、安南、安西、安北、安中、安総の名が見え、安中の塔は比叡山の西塔、安総の塔は比叡山東塔とされ、安南は現在の大分県の宇佐、安西は「筑前宝塔院」と記載されています。『石清水八幡宮文書之二』所収の「太宰府鳥牒」承平7年(937年)記事には筑前竈門山に六所宝塔の一つ(安西塔)があるとされています。竈門山は現在の宝満山であり、記事には「竈門山分塔、沙弥証覚在俗之日、以去承平三年造立巳成。上安千部経、下修三昧法、宛如大師本願」とあり、このことから、筑前竈門山の宝塔は法華経の保管と三昧法(経を誦え仏を拝むといった修行法)の実施が求められた施設であり、承平3年(933年)にはすでに建立されており、その構造は2層式の塔であったことが知られます。

このような縁由により、ここ宝満山妙香庵には、 昭和62年10月15日、 比叡山開創1200年を記念して、 聖地天台山を遥拝する求道に燃える青年僧最澄上人の御姿(高さ5m80cm 青銅製)を建立いたしました。

また伝教大師は中国より戻られた後、 横大路(よこおおじ)家(福岡県糟屋郡新宮町)に竈(かまど)の火を授けられました。 その火はそれ以来「千年家(せんねんや)の火」として1200年間、 横大路家によって守り伝えてこられましたが、このたび「蓮華(れんげ)のともし火」(千年家伝承の炉火)として、 ここ妙香庵の傳教大師尊像御宝前に永く伝えることになりました。

今回、その「蓮華のともし火」の開眼(かいげん)、 並びに「傳教大師尊像」建立25周年記念の法要が平成23年11月4日、 第256世天台座主半田孝淳猊下(げいか)大導師のもと厳かに奉修されました。

また本堂では、人々の様々な願いや悩みに対し、加持祈祷を修し、子授け観音と呼ばれている慈母観世音菩薩の立像が建立されています。その前には、願いが成就された方々のそれぞれのお地蔵様が並んでおります。

この地が傳教大師聖蹟として、 さらに新たな歴史を刻むことになりましたので、 ここに由緒を特記いたしました。

■御朱印(朱印は、傳教大師堂にて受付けております。)

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